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- 私とクラウン<お客様篇>
- 私とクラウン<京都トヨタ 社員篇>
私とクラウン<お客様篇>
👤 T.M様
🚘 写真の年代/昭和52年
弟の誕生記念として、車好きの父が購入しました。
初代クラウンから乗り継ぎ、この車で5代目。
ブラウンのボディカラーが上品で、家族みんなから愛されていました。
毎朝、お気に入りのクラウンで父に幼稚園まで送ってもらうのが嬉しかったです。
海水浴や旅行にと思い出いっぱいの車でした。
🚘 写真の年代/昭和52年
弟の誕生記念として、車好きの父が購入しました。
初代クラウンから乗り継ぎ、この車で5代目。
ブラウンのボディカラーが上品で、家族みんなから愛されていました。
毎朝、お気に入りのクラウンで父に幼稚園まで送ってもらうのが嬉しかったです。
海水浴や旅行にと思い出いっぱいの車でした。
👤 H.T様
🚘 写真の年代/昭和57年
愛娘にデレデレのとーたん(私)の写真です。
この写真のあと、残念ながら大破してしまいました...Σ( ̄ロ ̄lll) ガビーン
もう一度クラウンに乗りたい!
🚘 写真の年代/昭和57年
愛娘にデレデレのとーたん(私)の写真です。
この写真のあと、残念ながら大破してしまいました...Σ( ̄ロ ̄lll) ガビーン
もう一度クラウンに乗りたい!
👤 T.T様
🚘 写真の年代/平成2年
白浜ワールドサファリパークで長女、長男と撮った思い出の1枚です。
若かった自分に、懐かしく色々と蘇る思いです。その後3人目が生まれ、今現在では、7人の孫に囲まれて楽しんでいます。
🚘 写真の年代/平成2年
白浜ワールドサファリパークで長女、長男と撮った思い出の1枚です。
若かった自分に、懐かしく色々と蘇る思いです。その後3人目が生まれ、今現在では、7人の孫に囲まれて楽しんでいます。
👤 N.M様
🚘 写真の年代/昭和35年
自分の母親が嫁入りした際の風景です。
当時22歳の母が嫁入りの時に、実家からクラウンに乗ってきたそうです。
当時、自家用乗用車が珍しかったこともあり、ご近所さんが大勢見に来られたと聞きました。
🚘 写真の年代/昭和35年
自分の母親が嫁入りした際の風景です。
当時22歳の母が嫁入りの時に、実家からクラウンに乗ってきたそうです。
当時、自家用乗用車が珍しかったこともあり、ご近所さんが大勢見に来られたと聞きました。
👤 N.M様
🚘 写真の年代/昭和42年
昭和42年の夏に母方の従妹たち家族と旅行に行った際の写真です。
クラウンは2代目RS41デラックス。
窓から顔を出しているのは、当時2歳の私です。(写真1枚目)母方家族は、後方に写っている初代クラウンのに乗ってきていました。(写真3枚目)
🚘 写真の年代/昭和42年
昭和42年の夏に母方の従妹たち家族と旅行に行った際の写真です。
クラウンは2代目RS41デラックス。
窓から顔を出しているのは、当時2歳の私です。(写真1枚目)母方家族は、後方に写っている初代クラウンのに乗ってきていました。(写真3枚目)
私とクラウン<京都トヨタ 社員篇>
🚘 当時の愛車/クラウンアスリートGパッケージ(GRS204)平成20年式
会社に入社した時に、35歳までにはクラウンに乗れる営業マンになりたいと決めていました。
入社当時はハイソカーブームで、クラウンというトヨタのブランドに憧れていていました。購入の際には、まだ若かった事もあり会社からの購入許可が、なかなか下りなかったことも今となっては思い出の一つです。
クラウンオーナーになれた時は本当に嬉しくて、足回りやホイールをカスタムしていました。
これまで4台のクラウンを乗り継いできましたが、クラウンオーナー様やクラウンをご検討中のお客様と共通の話題があることで、高級車志向のお客様のニーズも解るようになり、これまでにたくさんのお客様にクラウンにお乗りいただくことができました。
私にとってクラウンは、お客様との絆を結ぶ大切な相棒(クルマ)です。
会社に入社した時に、35歳までにはクラウンに乗れる営業マンになりたいと決めていました。
入社当時はハイソカーブームで、クラウンというトヨタのブランドに憧れていていました。購入の際には、まだ若かった事もあり会社からの購入許可が、なかなか下りなかったことも今となっては思い出の一つです。
クラウンオーナーになれた時は本当に嬉しくて、足回りやホイールをカスタムしていました。
これまで4台のクラウンを乗り継いできましたが、クラウンオーナー様やクラウンをご検討中のお客様と共通の話題があることで、高級車志向のお客様のニーズも解るようになり、これまでにたくさんのお客様にクラウンにお乗りいただくことができました。
私にとってクラウンは、お客様との絆を結ぶ大切な相棒(クルマ)です。
🚘 当時の愛車/クラウンスーパーサルーン(MS80)昭和51年式
個人タクシーをしていた私の父が、乗っていたクラウンを乗り換える予定を1年延ばし、私が免許を取得するまで待ってくれていたことを後に知り、嬉しかったことを今でも覚えています。
元々タクシーとして使用していたため、初乗り運賃ステッカーや回送板表示があったり、レースのシートカバーなど、周りと違う仕様も自慢でした。
クラウンのオーナー様には経営者の方も多く、サービスアドバイザーをしている時には色々な話をさせていただき、視野を広げることができたことは、私にとって大きな強みとなっています。
私にとってクラウンは、初めて所有した思い出の車であり、日本を代表する、乗っていて安心感のある車です。
個人タクシーをしていた私の父が、乗っていたクラウンを乗り換える予定を1年延ばし、私が免許を取得するまで待ってくれていたことを後に知り、嬉しかったことを今でも覚えています。
元々タクシーとして使用していたため、初乗り運賃ステッカーや回送板表示があったり、レースのシートカバーなど、周りと違う仕様も自慢でした。
クラウンのオーナー様には経営者の方も多く、サービスアドバイザーをしている時には色々な話をさせていただき、視野を広げることができたことは、私にとって大きな強みとなっています。
私にとってクラウンは、初めて所有した思い出の車であり、日本を代表する、乗っていて安心感のある車です。
🚘 当時の愛車/クラウンワゴン ロイヤルサルーン(JZS130G)平成5年式
ステーションワゴン型の、このクラウンは、遊び道具を沢山載せることができ、いざという時はラゲッジルームの床下に2人掛けの後ろ向きサードシートで7人乗ることができ、この機能も息子のお気に入りポイントでした。
後ろ向きに乗って後続車のドライバーさんによく手を振っていたのを思い出します。
家族で海にドライブへ行くことが多かったのですが、当時2歳の息子は、走っている時も、停まっている時も、ラゲッジルームのフカフカしたカーペットの、この場所がお気に入りで、おやつを食べたり、寝転んだりするのが大好きでした。
クラウンは私と家族を乗せてどこまでも走れるプライベート空間です。
ステーションワゴン型の、このクラウンは、遊び道具を沢山載せることができ、いざという時はラゲッジルームの床下に2人掛けの後ろ向きサードシートで7人乗ることができ、この機能も息子のお気に入りポイントでした。
後ろ向きに乗って後続車のドライバーさんによく手を振っていたのを思い出します。
家族で海にドライブへ行くことが多かったのですが、当時2歳の息子は、走っている時も、停まっている時も、ラゲッジルームのフカフカしたカーペットの、この場所がお気に入りで、おやつを食べたり、寝転んだりするのが大好きでした。
クラウンは私と家族を乗せてどこまでも走れるプライベート空間です。
🚘 愛車/クラウンエステート 特別仕様車 アスリートプレミアム(JZS171W)平成15年式
ステーションワゴン型のクラウンは、ミニバンほど大きくないものの、たくさんの荷物を載せることができ、落ち着きのあるインテリアデザインも、とても気にっています。また、セダンスタイルの乗り味が良いため、ミニバンではなくステーションワゴンを選びました。
普段は家族と両親を乗せることが多く、コロナ禍以前は妻の母親の実家がある信州によく出掛けました。
ハイブリッド車と比較すると、もちろん燃費は悪いですが、乗りやすく、利便性が高い。
クラウンは私にとって年数はたっていますが、ステータス性もありライフスタイルを豊かにしてくれる良き相棒なのでこれからも大切に乗っていきたいと思います。
ステーションワゴン型のクラウンは、ミニバンほど大きくないものの、たくさんの荷物を載せることができ、落ち着きのあるインテリアデザインも、とても気にっています。また、セダンスタイルの乗り味が良いため、ミニバンではなくステーションワゴンを選びました。
普段は家族と両親を乗せることが多く、コロナ禍以前は妻の母親の実家がある信州によく出掛けました。
ハイブリッド車と比較すると、もちろん燃費は悪いですが、乗りやすく、利便性が高い。
クラウンは私にとって年数はたっていますが、ステータス性もありライフスタイルを豊かにしてくれる良き相棒なのでこれからも大切に乗っていきたいと思います。
トヨタ販売店のエンジニアが磨いた技術を競い合う全国トヨタ店サービス技術コンクールでは、常に最新技術を取り入れたクラウンが課題車両として出題されることが多く、作業手順を一から見直し正確で抜けが出ず最短で出来る作業手順を作り上げ習得していきます。また、応用を利かせられるようになる訓練と車両に関する知識の習得なども必要になってきます。
歴代クラウンをお乗りのお客様には車の性能に関して妥協のない、厳しい目をお持ちのお客様も多く乗り心地や振動に対する要求にお応えするため、お客様の話をしっかり聞いて、出来ることを最大限考え修理や整備を心掛けてきました。
そのため、修理マニュアルに載っていない整備方法や診断方法を考えたり見つけたりすることができるようになりました。
エンジニア時代に、クラウンのパトカーのブレーキブースターのリコール作業の際、横で作業を見ていた警官の方から「作業の手際の良さに感動した」と言ってもらえたことは今でも心に残っています。
入社1年目(平成4年)の頃、クラウンへの車載電話の取付作業が多かったのは懐かしい思い出です。
歴代クラウンをお乗りのお客様には車の性能に関して妥協のない、厳しい目をお持ちのお客様も多く乗り心地や振動に対する要求にお応えするため、お客様の話をしっかり聞いて、出来ることを最大限考え修理や整備を心掛けてきました。
そのため、修理マニュアルに載っていない整備方法や診断方法を考えたり見つけたりすることができるようになりました。
エンジニア時代に、クラウンのパトカーのブレーキブースターのリコール作業の際、横で作業を見ていた警官の方から「作業の手際の良さに感動した」と言ってもらえたことは今でも心に残っています。
入社1年目(平成4年)の頃、クラウンへの車載電話の取付作業が多かったのは懐かしい思い出です。